天然ガスは明治のロマン

天然ガスの歴史は関東天然瓦斯開発株式会社のホームページより引用

1891年(明治24年)に、千葉県大多喜町において醤油醸造業者である山崎屋太田卯八郎が水井戸を掘ったところ、真水は出ず「泡を含んだ茶褐色を呈する塩水」ばかり湧出するため、落胆して吸っていた煙草をこの泡へ投げ込んだところ、泡が青白い炎を上げて燃えあがり、居合わせた人たちが一堂に驚いた、との記録が残されている。

他の地区においても、ガス田地域での天然ガスや塩水などを含む水の湧出と田畑の作物への悪影響は古くから認知され、湧出する天然ガスは「燃ゆる気」(石油は「燃ゆる水」)、湧出する気配のある土地は「土気」と呼ばれていた

この最初のガス井戸は、大正12年(1923)関東大震災のころまでガスの噴出を続け、この地方の民家でガス井戸を掘る民家井発達の端緒となりました。また、ほぼ同年代に、大多喜町紺屋に居住する西尾発造という人が深度100間(約182メートル) の水井戸を掘ったところ、褐色のかん水とともに天然ガスが噴出し、よく事情のわからないまま、ささやかな工夫を施して、家庭燃料や灯火に利用したと言います。ちなみに、当時この地方における水井戸は、上総掘りという掘さく方法で掘られ、掘さく費は、多くの場合、金銭によらないで1坑井当たり米何俵ということで請け負われたとのことです。

大多喜地方で、民家井を掘るようになったのは、大正の初期ごろからで、昭和に入ってから、さく井が一段と盛んになり、昭和4~5年(1929~30)には井戸数40~50坑を数えました。動力等によらず自噴する天然ガスは、簡易な分離器を経て導かれ、家庭燃料や灯火に、ある者は精米・精麦の動力用に、さらに一部の農家では繭(まゆ)の乾燥用に利用しました。こうして、天然ガスの利用は、地域的にも次第に拡がり、量的にも増加して、この地方に定着するようになり、昭和3~6年(1928~31)ごろには、ピークに達しました。

企業による生産の始まりは、昭和6年(1931)に創業した関東天然瓦斯開発株式会社(当時の社名は大多喜天然瓦斯株式会社)によるもので、当社の手で都市ガス供給も行うようになり、ガスの採取から輸送、さらに供給までを安全に管理する時代へと発展してきました。当社は現在、天然ガス事業のパイオニア、千葉県内最大手のリーディングカンパニーとして、その地位を確立しています。